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障害を持つ子どもの親の本当の役割

実は、このたび子どもを授かりました。

第一子です。

6月が予定日です。

さて、今回は、プライベートとはいえ、「障害者 × マーケティング」という、なかなかコアな話がメインになるので、内容を読んで批判する人も真剣に批判していただければと思います。

さて、本題。

妊娠が分かってからというもの、妻の健康への気遣いがハンパないです。

あまりに神経質すぎて、逆にストレスたまって健康に悪いんじゃないの?と思うほどの徹底ぶりです。

最初は僕も困惑し、ちょっと衝突したりもしたけど、僕ら夫婦2人にとって、一般的な夫婦に比べると奇跡のような妊娠だったこともあり、超大事な命であることには間違いないので、そこまでナーバスになるのも当然だなと妻の気持ちもすぐに理解できました。

何としてでも健康な子を産みたいんだなと。

まぁ、そのあたりの話はまた後記でします。

で、妻の心配は尽きないので、病院でいろんな検査をするわけなんですね。

抗体検査とか、もろもろの任意の検査も全て制覇しました。

また、ある一定期間を過ぎたところで、胎児に異常があるかどうかも分かる、特別な検査もあるんだそうで。

ダウン症の子や、何らかの障害を持った子が生まれる可能性とかがこの検査で分かると。

そして、その検査結果を見て、産むかどうかを判断するみたいな。

いやぁ、これって良いんだか悪いんだか。

で、僕ら夫婦はその検査を希望しませんでした。

これに関しては2人とも迷うことなくサクッと同意でした。

どんな子が産まれようが、親になる喜びと覚悟はとっくにあったし。

とはいえ、やはり妻は、それなりにナーバスになっていたので、

「この検査はしなくても良いよね?」

とは言いながらも、

『でも、もし、、、』

という感情や表情はガンガン滲み出ていてように見えました。

けど、僕からしてみれば何の心配もいらないとう確信があったので、サラッと(でも真剣に)妻にこう伝えました。

「オレ、マーケティングのプロやからさ、もしそんな特徴ある子が生まれてきたら、一生生活に困らんようにバッチリプロデュースしたるわ。普通の子よりもそういう子の方が圧倒的に稼げるやろしさw」

妻はそれで納得したのかどうか知らないけど、ちょっと笑ってくれました。

でも、これは妻を安心させるつもりで冗談で言ったわけでもなんでもなくて、僕的にはいたって真剣な論理なわけで。

世間的には「障害こそが個性だ」とか「五体満足の人間なんかいない」といった言葉が溢れているわけですが、僕はこいうのはキレイゴトにしか過ぎないと思ってます。

なぜなら、いくら障害を個性に転換できたとしても、世間の誰にも知られることがなければ意味がないからです。

本人も親も周りの人間「個性推し」する人に限って、キレイゴトばっかりで、その「知ってもらう」ため手段の提案が圧倒的に欠けてるんですね。

24時間テレビとかが、毎回、障害者を番組に引っ張り出して、試練を与えて乗り越えさせてお涙頂戴するというパターンをやります。

で、テレビやタレントはそれで稼いでるわけなので、批判する人はけっこう多いですよね。

チャリティー番組で莫大なギャラが発生していることが問題になったりもしましたし、ビートたけしさんもそれに対して苦言を呈していましたよね。

まぁ、この話は別の議論になるので置いておきます。

僕もこういった番組は、断固として批判派だったんですが、自分が親になろうとしている状態で考えると、そして、もし自分が障害を持った子の親だと考えてみると、メディアによる世間への露出はかなりありがたいと思うわけです。

ただ、この露出には問題もあるんですね。

それは何かというと、番組に出た障害者が、基本的に”一発屋”で終わってしまうことなんですよ。

これは非常にイケてないです。

なぜなら、

「〇〇ができないけど必死にがんばっています」

といったように、ただ無理してがんばることを「個性」というふうに見せてしまっているので、完全に見せ方を失敗しているわけです。

これでは個性としてはあまりにも弱いんですね。

そうじゃなくて、

「〇〇はできないけど、その代わりにこの部分が常人より突出しています」

を見せることで、強烈な個性として認知され、継続的に拡張的に感動やクリエイティブを提供できるんです。

障害が個性になるか人生の足枷になるかは、「正しい見せ方」を踏まえた上で、多くの人に知られるかどうかで決まります。

個性も誰にも知られなければそれはただの足枷だし、逆に障害も公に認知されれば、それは協力な武器になります。

なので、障害をもつ子の親の役割は、過保護になることではなく、子どもをしっかりマーケティングをしてあげることなんですよ。

そして、その子が自分で自分をセルフプロデュースし、将来、自分の力だけで生きていけるように、障害(個性)をどんどん売り出すことなんです。

そのためにも、親がマーケティングをしっかりと学ばなければならないんです。

障害(個性)を「失敗部分」として引きこもらせていたら、それは一生、足枷で終わるだけです。

よく言えば個性の認知活動、悪く言ってしまえば「見世物」かもしれませんが、でもそれが親の役割だと思います。

親が稼ぐためにやったらダメですよ。

って言いたいところですが、そのお金を自分のために使うのか子どものために使うのかはわからないので、それも責めません。

いずれの理由にせよ「この子が何でマネタイズできるのか」を知るためには重要な活動ですしね。

もちろん、何かができないことを「個性」と言い、怠惰していてはいけないしウリにしてもいけません。

というか、そんなものは同情であって共感ではないので、強みにもウリにもなりませんから。

そうではなく、「この部分が常人より突出しています」を見せるため知らしめるための努力を、親子ともどもしなければならないんです。

「〇〇ができないけど必死にがんばっています」

だけしかないと、前述した24時間テレビのように一発屋で終わるので。

結果、健常者と同じ土俵に乗らなければならなくなり、そこで比較勝負させられ、社会の隅に追いやられていってしまいます。

僕は障害を持つ子の親ではないし、ましてや、まだこれから親になろうとしている人間なので、子育ての苦労はわからないかもしれません。

親からしたら「私がこの子を守る」という強い思いもあるでしょう。

でも、基本的に親は子よりも先に死にます。

であれば、親としてやるべきことは、障害を個性に転換して自分の力で稼げる子にしてあげることじゃないでしょうか?

そのためのスキルやノウハウを身に着けることではないでしょうか?

もちろん、これは、障害を持つ子の親に限ったことではなく、健常者の子の親も同じ役割だと思います。

高学歴だけじゃ強みになりません。

食っていけません。

東大卒だけじゃなくて「東大卒 × 〇〇」というポジションを勝ち取れれば、また話は変わってくるとは思いますが。

ぜひ、子育てにマーケティング意識を。

PS

障害者、健常者という表現をしていますが、文脈をわかりやすくするためであって、決して差別を目的にした表現ではありません。

ご理解ください。

PPS

うちの妻は、不妊治療をしても、「ほぼほぼ子どもができないであろう」と言われていました。

もちろん、それを承知で付き合っていたし結婚もしたわけなんですが、妻的には、やはり子どもは諦めきれなかったので「じゃぁ、がんばって治療をしていこうか!」という矢先に奇跡的に子どもを授かりました。

なので、命を授かるということはただでさえ奇跡なのに、さらにその上をいく奇跡よって授かった命なので、何としてでも健康に産みたいという想いで妻は健康に神経質になっているわけです。

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服部慎也
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